昔からなぜかよく。誤解されやすい。
それはぼくの性格のせいなのかなんなのか。
それが分かったのは結構最近のことで。
たとえば。
ぼくは何でも器用にこなせる人間だと誰かに思い込まれていたりする。
その人がぼくのどの部分を見てそう思ったのか分からない。
「以前これができたから。当然これもできるよな。」
「ということは当たり前にあれもできるでしょー。」
みたいな。
この場合は決め付け。
「たとえば。こいつは『割り算』ができるから。
当たり前に『掛け算』もできるだろー。
というかこいつは算数大好きだろー。」
みたいなことだと。
本当は。割り算はできるけど。
掛け算はできないかもしれない。
とか。
かの名のある歴史を残した数学者も。
もしかしたら数学は嫌いだったかもしれない。
連絡しないのは。あえて連絡していないとか。
連絡できないからなのかもしれない。
相手が自分にちょっかいを出したり。いじめてくるのは
もしかしたら自分に惹かれているからなのかもしれない。
とか。
…話がそれた(ーー;)
まぁ。いろんなことがあるけど。
ぼくが誤解されやすいのは。
あまり自分のことを人に話さなかったり。
人に本当の自分の想いをぶつけることをしなかったからだ。と思う。
情報がないぶん。それぞれの人達がそれぞれのイメージを
ぼくに抱き。そして接してくる。
だけど。ぼくの悪いところは。そこで流されるまま
否定も肯定もしなかったところ。
本当はAかBかでいわれれば。Aを取る意思は固まっているんだけれど
そのときは何もいわない。
やっぱり。ゆっくり考える。
すぐに答えを言わない。
答えを出さない。
そのあいだにいろんな葛藤が生まれる。
そして。もやもやする。
でも、その葛藤で出来た「もやもや」が音楽人としての
ぼくの歌うテーマ。
「内在して渦巻く自分の想い。」だ。
それを小出しにパックして形にしていく。
それが。曲になり。音楽になる。
音楽人としては。それでいいのかもしれない。
なぜなら、それが。ぼくの歌う意味だったりするから。
だけど。
そんな反面。
大事なときに言葉にできなかったり。
時にはそのせいで誰かを傷つけてしまったり。
迷惑をかけてしまったり。
一個人としてのぼくが、それでいいのかといわれれば。わからない。
もしも。ぼくが。
思ったことをすぐに口に出せるようになれば何かが変わるのかな。
世界は違って見えるのかな。
なんて。
そんなことを考える。たまには真面目にね。